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130素材が語る古代

素材がささやく古代の秘密 クスノキは九州が北限(福岡市立花山・樟の原生林)古代には、楠は九州より北には自生していませんでした。かの有名な百済観音はクスノキの一木造りですから、九州の樟で作られたのでしょう。それとも、百済に樟を運んで造り上げて、再度日本に持ち込んだというのでしょうか。楠では船も作られたそうです。命を懸けて海を渡るとき、地域のご神木で作った楠の船に乗ったのかもしれません。仏像を樟で造るのも、納得できそうです。先に紹介した法隆寺の「多聞天立像」は、樟の一木造りです。これも楠ですから、九州で作られたと考えられます。それを、法隆寺に持ち込んだのは誰でしょう。私も及ばずながら推理をしていますが、以前、紹介した自著にそのことについて少し書きました。
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 古代の遺物は私たちの知らないことを多く語ってくれているのかも知れません。
「美の国日本」に展示されていた鏡が二面ありましたが、どちらも奈良県でした。「新山古墳」の直弧文鏡(上の写真)と、「佐味田宝塚古墳」の家屋文鏡(下の写真)です。いずれも「美の国・日本」の図録をデジカメで撮った写真です。
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この銅鏡の「鉛同位体比」を「Pbデータベース」で調べてみました(これは、ネットにも出ていますから誰でも手に入れられる資料です)。最近、青銅器に熔かされている鉛で産地を探るための資料として、又は青銅器の製作地域を探るため(同一工房を探すため)とかに、鉛同位体比が使われています。でも、鉛は銅の中に鉱物のまま入れて溶かすこともできますが、産地の違う青銅器を混ぜ合わせることも可能なので、産地の特定は難しいようです。
 直弧文鏡の方は探しきれませんでしたが、家屋文鏡は珍しいので見つかりました。データは次の順序で書かれています。①②③④は鉛同位体比で4種類あります。
a鏡種・b分類・c時代・d遺物等の名称・e径・地域遺跡名など・①206pb/204pb・②207pb/206pb・③208pb/206pb・④ 207pb/204pb (文献名など省略)
家屋文鏡のデータ a家屋 b古墳前 c家屋文鏡 d22.7cm e奈良県佐味田宝塚古墳 ①18.223  ②0.8586 ③2.1200 ④15.646
分かりにくいですね。下にプリントアウトしたデータをアップしてみました。
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では、福岡の弥生のデータと比べてみましょう。
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数字は左から①②③④の順で同位体比のデータが並んでいます。古墳時代の奈良と弥生時代の福岡では鏡の成分に違いがみられるようです。ちなみに、平原王墓の破砕銅鏡は国産品と柳田康雄さんが言われていますね。あれは見事な技術で造られた銅鏡でしたので、最近まで舶来品だと信じていましたよね。見事な銅鏡を作る技術が九州にあったのなら、古墳時代になって他所から工人を招いて、技術の劣る鏡を作ったのは何故でしょうね。
 pbデータベースを見ると、確かに製作地域は想像できそうですね。それにしても、銅鐸が九州の銅戈を鋳つぶして造ったという説にゆすぶられますね。

 今日は博物館をはしごしたので疲れて……ここまでにします。
 さて、昨夜の続きです。
纏向遺跡に北部九州産の土器はほとんど無いです。あっても1%くらいです」 
これは、奴国シンポジウムでの奈良文化財研究所パネラーの発言ですが、そりゃあ、そうでしょう。この時代の近畿には半島系土器はまだ多くないし、この時代の対外交流の中心は博多湾沿岸地域にあった(福岡市博物館の図録に解説)のですから福岡市の西新町遺跡からは、半島系の土器や半島の影響を受けた住居跡(室内の隅にオンドル式のカマドがある)、西新式と呼ばれる土器と半島系土器(楽浪系は含まない)、近畿・山陰・瀬戸内などの土器、近くの藤崎1号墳と6号墳からは三角縁神獣鏡がそれぞれ出土しています。ここは方形周溝墓ですが、1号墳の鏡は、滋賀県雪野山古墳鏡と同范で、6号墳鏡のほうは甲斐銚子塚古墳や備前車塚古墳などの鏡と同范です。更に、この西陣町遺跡の人口は突然減少するのです。消滅でしょうか。
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上の写真は、藤崎6号墳の木棺墓と出土品です。この三角縁神獣鏡「二神二車馬鏡」の鉛同位体比を見ましょう。①18.090 ②0.8625 ③2.1321 ④15.603となっています。
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さて、「二神二車馬鏡」に対応する鏡はどれでしょうね。探しかねます。同范鏡ですから、せめてサイズは近似値となるでしょうね。
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この写真は、西新町遺跡の半島系土器です。これらの出土品は、どこが半島大陸との接点であったかを示しているのです。ここで楽浪系土器が見られないということは、楽浪郡が滅びた後の遺跡なのか、それとも交流ルートが違うのか、です。また、西新町遺跡では板状鉄斧(鉄素材)・雛形鉄器・ガラス用の土製鋳型・青銅器の素材の鉛板などが出土していますが、工房などの生産跡が見られないので、物流の窓口だったらしいです。
 鉄器生産跡は西新遺跡より東にある博多遺跡にみられ、大型羽口を使用する大鍛冶が弥生後期には行われていました。この羽口が纏向に伝播するのは、古墳時代になってからですね。だって、纏向には西新式土器は1%しか出ないし、博多遺跡の羽口と同型の羽口が出ているのなら技術の移入は間違いないから、両者を合わせて考えると古墳時代になってからの交流としか言えないのです。いつも、答えは一つの結論に向かいますね。纏向に卑弥呼はいなかったのです。
 桜井市が「卑弥呼と邪馬台国で町おこし」したいと思っておられるという噂を聞きますが、無理をするより古代の交流を現代にも蘇らせるという方向で「福岡市との姉妹都市」などを考えて両者の情報を交流させ、古代を生き生きと現代に結びつける方が、より前向きで楽しいと思います。私は桜井市に何度も旅をして楽しみましたから、両方の都市が結びつくことをすごく期待し希望しているのです。そうなると、いいなあ……ちなみに邪馬台国が●●辺りにあったとか、思っていません。邪馬台国は矛を埋納させられた地域のどこかです。矛で守られた宮殿があった処と思っています。
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by tizudesiru | 2015-11-08 23:52 | 130素材が語る古代Ⅰ | Comments(0)


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