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128倭国の墓制

倭国の墓制家形石棺
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(遠景に阿蘇の噴煙が見える。中景は阿蘇火砕流台地の花房台地。菊池川岸に立ち南東を見る)
墓制を見れば、倭国は俀国に滅ぼされたことになる、と前回のブログに書きました。倭国とは熊本の勢力で、邪馬台国を滅ぼした狗奴国であること、狗奴国が鉄をつかって生産力をあげ北部九州を豊かにし、鉄の道具で石の加工をしたことなど、少しふれました。筑紫君の墓制は家形石棺だったことにも触れましたが、それが狗奴国とつながることの説明は足りなかったと思います。
ここでは、そのことを考えてみましょう。では、熊本に集中する装飾古墳の復習から始めましょう。壁画装飾を持つ古墳を装飾古墳とよびますが、その共通性を見つけてください。
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と、公開されている装飾古墳(パンフレットの写真を拡大)を紹介しました。横山古墳は山鹿市古墳博物館に移築されていますから見学できると思いますが、あとは公開の時期でないと見ることはできないと思います。これらの古墳の所在地は、地図で示されています。⑩や⑪は横穴墓と呼ばれる凝灰岩の崖の穴墓で、線彫の装飾が見られます。
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 熊本の古墳はこのような装飾古墳ばかりではありません。何度も紹介したように、狗奴国人は鉄の道具を持った集団ですから、刳り貫き型の石棺を多く造ることができたのです。
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びっくりしますね。宇土市の向野田古墳の女性の骨格です。30歳~40歳で出産経験もある156cmほどの背の高い女性だそうです。骨にハリスの線が見られるので、生前に重金属の中毒などで体がダメージを受けていたようです。石棺に残る水銀朱のような朱丹を人々を惑わす目的で顔や体に日常的に塗っていたことが考えられると、「新宇土市史」の中に書かれています。この本の第一巻のみを宇土市に注文して少し高かったけど買いました。写真はそこから貰いました。
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a0237545_19131288.png向野田古墳は4世紀後半の前方後円墳(89m)であり、竪穴式石槨に舟形石棺が置かれ、鏡3面・腕輪形石製品・玉類・棺外に鉄刀・鉄剣・などが副葬されていました。鏡は方格規矩鏡・内向花文鏡・鳥獣鏡で、弥生の後期に多く副葬されたのは方格規矩鏡(糸島の平原王墓の8割は方格規矩鏡)ですから、向野田古墳はその伝統を色濃く伝えているのです。前方古円墳に女性と確認された人の埋葬は珍しいそうです。それにしても、舶載三角縁神獣鏡を1面副葬された城ノ越古墳より、向野田古墳の築造が遅いとは、どういうことでしょうね。舶載(?)という眉唾な三角縁神獣鏡は4世紀の古墳から出ると聞きますよね。副葬品は古いタイプのセットだが舟形石棺を使用している点から、築造は古墳時代前期の半ばとされているそうです。
 宇土半島基部は熊本県内では最も早く前方後円墳が築かれた地域であり、4群(轟、緑川群・花園群・不知火東、松山群・不知火西部)に分けられていると、市史にあります。宇土市の市史編纂のスタンスは「古墳時代は箸中山古墳(箸墓)から始まる」ですから、最も早い築造とはいえ、畿内より早い設定はありません。それでも、轟、緑川郡の城ノ越古墳(前方後円・三角縁神獣鏡副葬)は3世紀末に属すると書いています。このあとの迫之上古墳(竪穴式石槨・鉄刀、鉄槍副葬)は4世紀中ごろ。不知火西部群の弁天山古墳が4世紀前半とされる他、他の地域はほとんど4世紀後半からの築造とされています。畿内の古墳の暦年代が次々に引き上げられる(その理由も驚きですが)中、九州は一向にその気配はありません。
 ちなみに熊本県の前方後円墳・大型円墳を持つ地域は限られており、9か所が挙げられています(他に小型の古墳群が数多くある)が、次の、①関川(諏訪川)流域 ②菊池川下流域 ③菊池川中流域 ④白川上流域 ⑤緑川中流域 ⑥宇土半島基部 ⑦氷川下流域 ⑧球磨川下流域 ⑨球磨川中流域 以上の地域と紹介されています。
 下写真は、花園町楢崎古墳です。石材は灰色のの阿蘇石です。この古墳には5基の埋葬施設があり、4基が後円部にあります。家形石棺2基・舟形石棺1基です。ここには刳抜式の技術も、組合せ式の技術も使われています。が、石材は馬門石ではありません。
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さて、家形石棺ですが、『新宇土市史』は、「家形石棺という埋葬施設の発案は九州でなされたことは間違いない」といいます。が、宇土市の前期の古墳はほとんどが舟形石棺です。
 そもそも石棺文化はいつ始まったものでしょう。弥生時代の木棺には地域の首長が埋葬されたそうです。古墳時代になると、木棺に粘土郭、木棺に竪穴式石槨、組み合せ式石棺・割竹型雛形石棺(刳抜式)に始まり、中期には横穴式石室に舟形石棺が継続し、組合せ式長持ち型・箱型・家形石棺が加わってくるそうです。後期には、横穴式石室が普及し舟形石棺から刳貫式の家形石棺が出現するというのです。要するに、弥生の組合せ式箱式石棺(一部には縄文時代のものある)は舟形石棺へ引き継がれていて、刳貫式割竹形石棺(?)→舟形石棺→家形石棺、組合わせ式も箱形石棺→長持型石棺→家形石棺 と変化したと言えるそうです。一般に、香川県の「割竹型石棺」が石棺の始まり(白石太一郎・他1985)と言われますが、それが熊本に入ったというのでしょうか。熊本の石棺の変遷を見ると……
 下図は新宇土市史「九州における舟形石棺の分布」です。◆肥前Ⅰ型・◇肥前Ⅱ型・■北肥後Ⅰ型・□北肥後Ⅱ型・●中肥後型・▲南肥後型・◉豊後Ⅰ型◎豊後Ⅱ型・△日向型・〇その他不明 ★石棺製作地。 製作地★は、菊池川下流域・宇土半島馬門・氷川流域になっているようです。
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上図を見ると、菊池川流域の舟形石棺が、矢部川流域の八女地方に入っていることがよくわかります。筑紫君磐井と火の中君は姻戚関係にあったと書かれている通りの分布図です。
では、家形石棺の分布図も見てみましょう。私が筑紫君の墓制だと思っている妻入横口式家形石棺の出自がわかります。
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  同じく新宇土市史「九州における家形石棺の分布」を見ます。〇妻入横口式家形石棺・■平入横口式家形石棺・●その他組み合わせ式家形石棺・◆刳抜式家形石棺 
 上図を見ると、家形石棺は宇土半島基部・菊池川流域に集中し、「妻入横口式石棺」は久留米地方・菊池川下流域・宇土半島基部あり、他には広がっていません。この三地方の強烈なつながりを示すのでしょう。 此処での結論は、「邪馬台国を滅ぼしたのは倭国である。倭国とは熊本の勢力で狗奴国と呼ばれた国である。狗奴国は南筑後から侵入して筑紫を豊かにし倭国と名乗り、首長は筑紫君と呼ばれたが、豊前と協力した肥後の一族内から謀反があり(いわゆる「磐井の乱」)、1年近く戦った筑紫君磐井は豊前に逃れて行方不明になり(風土記)、一族は衰退していった。」ということですが、この筑紫君の首長の墓制が妻入横口式石棺であれば、磐井の乱後には作られなくなる理由はここにあります。また、その家形石棺が、瀬戸内・吉備・畿内に伝播しているのです。それも、阿蘇石が石棺として運ばれているという事実があります。これは、どういうことでしょう。他地域の首長が、遠い九州の石棺を運ばせているのです。九州からの献上品となっていますが……首長が臣下の墓制を取り入れたとは思えません。
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 上の写真は、馬門石(阿蘇溶結凝灰岩)で作られた植山古墳の家形石棺で、ここは推古天皇と竹田皇子の改葬前の墓と言われています。きれいに掃除されていて、副葬品はなかったと思います。
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by tizudesiru | 2015-10-31 16:13 | 128倭国の墓制 | Comments(0)


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