カテゴリ:111京都の守り・再び( 1 )

111都を守る選ばれし神々

都を守る選ばれし神々
京都の守り
再び

 桓武天皇が遷都した平安京の守りを見直しましょう。ラインはいずれも以前紹介したままです。変えずに見直しましょう。水色ポイントは、すべて延喜式内社(名神大社)です。三角形の中央を南下するピンクラインの末端の式内社は、広瀬大社です。一言主神社と並ぶ西側の式内社は、長田神社(名神大社)です。実は、一言主のポイントは、春日大社です。すぐ横なので紛らわしいのですが。下に画像を上げます。
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平安京の守りに、当然、春日大社はかかわります。他にもラインがありますが、複雑になるので、一つだけ上げました。
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 平安京は、貴船神社を頂点に伊弉諾神社、伊勢神宮が大きな三角形を造っています。
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貴船神社は二か所からラインが出ています。三角形になる伊勢ライン・伊弉諾ラインは、貴船神社から。ピンクのラインは奥宮から出ています。
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 ピンクのラインは京都御所を通ります。ここは、度重なる御所の火災の後、白いポイントのある大極殿址から移動建て替えられたのです。紹介済です。黄色の三角の頂点は、加茂別雷神社(上賀茂神社)です。
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 賀茂別雷神社からのラインは、松尾大社と天智天皇陵に届きました。陵墓が都の守りとなっています。
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 嵯峨天皇に都の守りを託された空海の東寺は、加茂別雷神社から南下するライン上にありました。そのラインに、徳川幕府の二条城が乗っています。意図的に築造された幕府の出先で、空海の霊力を断とうとしているのでしょう。これらは全て紹介済です。
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 つまり大切な場所は、神々(神社)の力を持って守られる事、偉大な祖先の霊力(陵墓)にも守られる事などを確認したかったのです。
 
 さらに付け加えます。実は、伊勢神宮のラインには、文武天皇陵が乗っているのです。持統天皇が成長を待っていた若い天皇でした。続日本紀には「初めてーーをする」という文章が多く見られます。律令がやっと整いさまざまな法令が施工されたのです。
 伊勢ラインに埋葬された文武天皇、何処を守護しているか、それが問題です。天武朝が初めて造営した「新益京」(いわゆる藤原京です。条坊をもっている都のはずですが、藤原宮はあっても藤原京ではありません。新益京と呼ばれています)
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白いポイントが、藤原宮の大極殿址です。
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 しかし、よく見ると、文武量は伊勢ラインから若干ずれています。
 真相は、またあとで。
 


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by tizudesiru | 2013-08-23 20:06 | 111京都の守り・再び | Comments(0)


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