カテゴリ:106宮地嶽古墳と石塚山古墳( 1 )

106宮地嶽古墳と石塚山古墳

宮地嶽古墳と石塚山古墳
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宮地嶽古墳の東に尺岳山頂を挟んで、石塚山古墳があります。a0237545_1536460.gif
宮地嶽神社の東に不動古墳はあります。a0237545_15362535.gif石塚山古は、110mの撥形の前方後円墳です。
a0237545_22142794.png
1985年に国指定史跡になっています。4世紀初頭の古墳とされ、竪穴式石室ですから、宮地嶽古墳、老司古墳などより古い形態となります。宮地嶽古墳に先行するという事です。宮地嶽古墳の被葬者が、石塚山古墳の被葬者を知っていたとしたら、どういう意味になるでしょう。、三角縁神獣鏡は多くの鏡研究の成果により、魏の鏡ではない、日本製の鏡である事が定説となっています。そうすると、それらの鏡は何処で作られたのでしょう。 石塚山古墳の鏡は、京都の椿井大塚古墳の鏡の同型鏡と言われます。
 そもそも石塚山古墳ですが、『古墳は3世紀後半に出現し、前方後円墳がその象徴的なもので、日本独自に発展したものである。出現期古墳の最大のものは箸墓古墳である。次いで、吉備の茶臼山古墳、北部九州の石塚山古墳である。副葬品などから見ても、ヤマト政権から吉備~九州となっている』という学説(白石太一郎)は、有名です。また、『東日本は西日本とは異なり、前方後方墳が主体である。古墳期初期は政治体制がヤマトとは別であった。魏志倭人伝にいう「狗奴国」であろう。古墳後期になり、邪馬台国と同一の政治権力構造になったと考えられる。邪馬台国を引き継ぐヤマト政権は、古墳の分布から見ると、首長連合的に「王」を共立し、男子直系の継承であったとは言い難い』と、学説はつながっていきますが。
 加えて、『古墳時代の年代については、出土する土器からの判定だけではなく、三角縁神獣鏡の研究から4期に分けられることが分かってきている。年輪年代の研究も進み、今までの年代より古墳時代は3世紀初頭に遡る傾向にある。箸墓は卑弥呼の墓の可能性が高い』と展開していくのです。
 

 素人ながら、疑問でやや首が傾きます。だって、箸墓って、魏志倭人伝の記述より大きかったですよね。後円部の大きさが(径百歩)それだと言っても、前方部は後円部と同時に造られているそうではありませんか。記述は冢でしょう。それに、年輪年代って、別に箸墓そのものとは関係ないはずですよね。箸墓には調査が入っていないんですから。ほかの古墳に箸墓より古いものが出たから、古墳時代を引き上げようとしていると聞きましたが、本当ですか? また、狗奴国って、邪馬台国の北に位置していましたか?たしか、「其の南に狗奴国あり。男子を王となす。其の官には狗古智卑狗あり。女王に属せず」となっています。次の文が「郡より女王国に至るまで万二千余里なり」とある、有名な一文です。

 郡より一万二千余里で女王国に至るなら、そこは北部九州以外にありません。女王国は、九州にあったのです。
弥生の北部九州の墓制は、甕棺墓でした。その中に、方形周溝墓が入ってきます。福岡市には、方形周溝墓と3世紀の古墳(名島古墳)から三角縁神獣鏡が出土しています。近畿の三角縁神獣鏡鏡は、古墳から出土します。前漢鏡は、北部九州から出るのです。後漢鏡は弥生の箱式石棺から出ます。

 それでも、女王国が近畿でなければならない理由はなんでしょう? 事実が指し示す結論を曲げなくてもいいではないかと、普通の人は思います。
 それでは、石塚山古墳に戻りますが、三角縁神獣鏡は、椿井大塚古墳の鏡をもとに全国に広がったそうですが、本当ですか? 
 弥生時代に出土する鏡の鋳型は、須玖永田遺跡・飯倉D遺跡・寺徳遺跡など、福岡県がほとんどだそうです。近畿で鏡の鋳型の出土で有名な飛鳥池遺跡は、7~8世紀とされるそうです。
 椿井大塚古墳と石塚山古墳の鏡の問題に帰りたいのですが、書かなくても結論は出ていますね。伊都国の平原遺跡(方形周溝墓)の中国鏡と信じられていた鏡が国産なのですから、弥生時代には当然「銅鏡の工房」が福岡にあったことになります。技術も中国鏡とかわりがありません。鋳物の技術は、紀元前から北部九州にはありました。たとえば、鉄戈ですが、弥生前期の立岩遺跡の甕棺墓にも副葬されています。この鉄戈は、鋳物だそうです。韓半島には銅戈しか出ませんから、鉄戈は日本独自のものです。弥生の青銅製品加工技術からして、北部九州に大きな財力が集中していたことは疑えません。
 それが、どうして椿井大塚古墳の関係者から三角縁神獣鏡が広がったことになっているのでしょう。
 
 そのことは、またあとで

 白石氏の学説の紹介などの情報はブログ(棟上寅七氏)から教えてもらいました。もっと詳しく書かれていますから、ぜひ見られてください。
 
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by tizudesiru | 2013-08-07 15:20 | 106宮地嶽古墳と石塚山古墳 | Comments(0)


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