カテゴリ:101宇佐神宮と九州の神々( 3 )

宇佐神宮と九州の神々 3

宇佐神宮九州の神々 3
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おやおやと思うくらい、宇佐神宮と高良大社は離れています。詳しくみましょう。
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水色のポイントは宇佐神宮。画像のほとんどは神社域です。白の標は呉橋で、黄色の標は大善寺です。明治時代になって神仏分離の嵐の中、宇佐の神宮寺であった弥勒寺から運ばれた丈六の仏像が、光背を縮められて安置されています。下の画像は、宇佐神宮の神殿。
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 次の画像は、高良大社です。青ラインの周囲が高良山神籠石の範囲となります。北側は天武地震(678年)により崩れているそうです。本殿の裏の高部に古墳があるそうです。ラインはその上を横切っているようです。
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高良玉垂宮の裏の高い所から本殿を見ています。この高部が、高良山神籠石の最高部となります。
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 大善寺の玉垂宮です。寺院の方は、明治の神仏分離で他へ移されています。その昔、神社の神門の前に、呉橋がかかっていたそうです。
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 高良玉垂宮も、延喜式内社の名神大社です。筑後の一の宮であり、九州の山々ともつながります。が、延喜式内社として、古代の政治勢力や信仰の対象を抑える役目も担ってきました。しかし、そこから見えるのは、式内社とされる以前は、古代九州の守りの存在だったのではないかという事です。それは、宇佐神宮も同じです。時代の流れで、祭祀する氏族が変わり、祭神が入れ替わった可能性も十分です。
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by tizudesiru | 2013-08-01 00:18 | 101宇佐神宮と九州の神々 | Comments(0)

宇佐神宮と九州の神々 2

宇佐神宮九州の神々のつながり 2
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宇佐神宮と九州の神々のつながりを考えようと、天照神社(すでに紹介)とラインを結んでみました。すると、ラインはさらに伸びて、福津市の宮地嶽古墳とつながりました。延喜式式内社としての宇佐神宮が、ニギハヤヒを祀る天照神社を抑えようとしているのでしょうか。そのラインは、宮地嶽古墳まで届きました。
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宇佐神宮
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鷹居神社
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香春岳(山頂をずれる)
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天照神社
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宮地嶽古墳(中央の丸い森)小さな円墳でありながら、石舞台古墳より長く、見勢丸山古墳に次ぐ大きい横穴式石室を持っています。副葬品も、新羅系のガラス板、金冠、碗型鐙など国宝が十数点あります。

延喜式内社の名神大社としての宇佐神宮は、私が主張する式内社(名神大社)の特徴を備えています。それは、古代九州の神祭りの場(神社など)や、信仰の対象だった山々や、政治勢力が残した墳墓や遺構をターゲットとしたラインがかかるという事です。過去の見えない力を後世の霊力(式内社)抑え込もうとしているという事です。地図を広げて神社や古墳をつないでいた頃はまったく気が付きませんでしたが、ラインを引くうちに九州の延喜式内社に共通する事が明らかになってきました。それは、筥崎八幡宮のラインがきっかけでしたが、此処では繰り返しません。天照神社も、宮地嶽古墳も、すでに何度も取り上げたところです。
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by tizudesiru | 2013-07-31 14:59 | 101宇佐神宮と九州の神々 | Comments(0)

101 宇佐神宮と九州の神々

宇佐の神の始まりの地は何処?暑い中に豊前歩き
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 辛國息長大姫大自命は神代に唐に渡り、崇神天皇の時に帰国という。豊比賣命は、神武天皇の外祖母で住吉大明神の御母と書かれています。名前が多いので頭が混乱しそうですが、天照大神の子どもの忍骨命が年長で、神武天皇の祖母の豊比賣命が次に年長で、崇神天皇の御代に帰国した辛國息長大姫大自命が一番若いことになります。
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崇神天皇の時、各神霊を各山頂に祭っていたのに、和銅2年・元明天皇のとき三神を合祀したとあります。その時は、香春宮と尊称されていたけれど、明治になって香春神社になったようです。宮と神社では、格式が違うのです。
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 先に紹介した薦神社。御祭神は、応神天皇・比哶大神(三女神)・息長帯比売命でした。社殿の造営は承和年中(834~48)と伝わりますが、「八幡宇佐御託宣集」によるとこの神社古より八幡神とかかわりが深かったそうです。720年の日向大隅の隼人の反乱に対し、八幡神を奉じて鎮圧に向かいますが、神輿には三角池に自生する真薦で枕形の御験が乗せられていたのです。こ の薦枕は、八幡神のみ験として永く用いられます。6年ごとに造りかえられ、八幡神とかかわりの深い八社を巡ったあとに、宇佐神宮に納められます。八社とは、田笛者、鷹居社、瀬社、泉社、乙哶社、大根川社、妻垣社、小山田社です。古い御験は、下宮に、さらに下宮の古い御験は国東の東海岸の奈多宮に納められ、最後は海に流されます。それが、四国にまで流れ着きお祭りされたとか。長い八幡神のリレーです。そのスタートが、薦神社です。
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薦神社の呉橋は、江戸時代の絵図によれば、上の写真の神門の前にありました。特別な人しか渡れない橋です。壊れかかっているのが気になりますが。呉橋は、宇佐神宮にもありますし、久留米の大善寺玉垂宮の神門前にもあったようで、名前が地名に残るそうです。
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宇佐神宮の呉橋。勅使道に続く橋です。格式のある神社にしかないのですね。
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大善寺玉垂宮の前の広川にかかる橋が呉橋だったそうですが、既にアスファルト道路に変わっています。ここでは、薦神社が宇佐神宮の元宮といわれる理由がわかったような気がします。
 では、他の神社も見てみましょう。
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香春神社と宇佐神宮のライン上に、逢坂山(大阪山)と、鷹居神社御乗っています。この神社を拡大してみると、若干北にずれます。ほかのラインに乗るのかも「しれません。後で、もう一つのラインを紹介します。
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この神社は、八幡神(鷹の姿)ですから、神功皇后の子どもの応神天皇ということです。大神比義と辛島勝乙目は、ともに八幡神を奉じて大仏開眼に尽力した人です。この地を選んで神殿を建てたのはなぜでしょうね。和銅元年は、銅が日本でとれたことを記念する元号です。香春岳の辺りは、採銅所の地名も残る銅の一大産地でした。その事も関係するのでしょうか。銅の産地を八幡神が抑えていたとか。
 このラインが宇佐神宮に届くのです。
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宇佐神宮の御祭神は、八幡神とその母堂・神功皇后、そして、比賣大神となっています。不思議なことに、比賣大神は宗像三女神となっているそうです。「宗像三女神は、宇佐島に降臨した」という古事記・日本書紀の記述に合わせているのでしょうか。
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by tizudesiru | 2013-07-30 14:18 | 101宇佐神宮と九州の神々 | Comments(0)


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