カテゴリ:100日知王の山々( 1 )

日知王の山々

日知王の山々
 万葉集巻一、柿本人麻呂が近江の荒都を過ぎる時作る歌「玉手次 畝傍山乃 橿原乃 日知之御代従 阿礼座師 たまだすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ あれましし」という長歌に「日知」という語が使われています。畝傍山の橿原にいた日知の王が治めた世より、この世にお生まれになった……と、歌はつながり、橿原の王から次々受け継いだ皇統を詠んでいるのです。「玉たすき」とは、神祀りの時に懸ける襷らしく、文字からすると、橿原の王は、日知です。「日知」とは、聖にも通じ、太陽の動きを読める尊ばれる人物でしょう。ここでは、そういう人物を「日知り王」と呼びましょう。橿原の王は、日知りであったようです。日を読んでいたのです。
 日知り王は、日を読むに何を以てしたか。つまり、見てわかる基準があったはずです。彼は、畝傍山の橿原のある地点から、三輪山を見ていた。三輪山は、神武陵から見るとほぼ夏至の日の出の山です。そして、そのことを確かめて畝傍の一地点に宮柱を建てた。そこは、春分秋分の太陽が天香久山々頂から昇るのが見える場所でもあります。なぜそう言えるのか。それは、九州の日知り王と共通するからです。日知は、王の条件でしょうか。

 北部九州の日知のラインは、北部九州の中央の山地を縦断します。その山地は、福岡平野から見える東の山々。偶然にも南北に連なる山頂で、それは、鉾立山・砥石山・宝満山。更に、阿志岐平野を挟んで宮地岳山頂に及びます。このラインが南下すれば、高良大社に当たり、高良大社から北を見ると、宮地岳の後ろにそそり立つ宝満山々頂の上空に、北極星が見えます。広い筑後平野の奥のひときわ秀麗な宝満山は、福岡平野からも筑後平野からも長い間信仰を集めていました。三郡山系の宝満山は福岡・筑後の両方の平野の接点にあり、断層地形の谷(平地部)を挟んで脊振山系に一番近い山なのです。この山こそ、日知り王の春分秋分の山であり、この山の西に弥生の日知り王はいたのです。
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吉武高木遺跡の時代
 唐津の菜畑遺跡あたりから始まった鏡や青銅器を副葬する習慣は、瞬く間に福岡平野にも広がりました。吉武高木の首長も聖であったと考えられます。飯盛山から見ると、夏至の陽は鉾立山から登り、冬至の日は荒平山から登ります。
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 荒平山から冬至の陽が昇ることを、早良の首長は飯盛山から目で確認できたと思います。しかし、見勢大霊石神社までラインを伸ばすことは、少しためらわれます。この神社は、神功皇后が清浄な砂地で祭祀をしたと伝わりますから、もう少し河原に近かったかもしれません。そして、鉾立・宝満山ライン上に、脊振からのラインが交差する位置に建てられていたのかもしれません。そうなると、のちの世、延喜式内社の世に、二つの神祭りのラインを断つために建てられた神社ということになります。
 話を戻します。
三雲南小路王墓の時代 
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 この王は、日知り王だったのでしょうか。高祖山が夏至の陽の出のラインです。脊振と火山の間に甕棺はありましたが、このラインは冬至の陽の出ではありません。夏至の日没は、加也山です。
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 三雲南小路王墓から平原王墓を通り、加也山につながるラインです。王墓から見ると6月22日の太陽は、可也山に沈みます。画像は、三雲南王墓から見た6月22日の日没です。可也山に沈む陽をパソコン上で確認しています。
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 平原の王は、日没の方向に周溝墓を造ったことになります。此のラインが、大祖神社までつながることは、前回までに紹介しています。可也山から見れば、神社の方向に陽が沈んだのです。神祭りの場としては、ふさわしいでしょう。伊都国の首長たちは、加也山・高祖山、井原山を使って、陽を見ていたはずです。
須久岡本王墓の時代
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須久岡本の王は、夏至・冬至・春分秋分の山々を、福岡平野の周囲にもっています。すべてそろっているのです。春分秋分の太陽は宝満山から昇り、飯盛山に沈みます。須玖岡本の最高部から見る宝満山は、大城山(大野城)の影になって見えにくいのです。そこで、神祭りを大城山でもしていたようです。王城神社の由緒からすると。
 夏至の陽は砥石山から昇り、愛宕山に沈みます。ここも古代からの神祭りの場でした。冬至の日は宮地岳から昇り、井原山に沈みます。
 須玖岡本の日知り王は、吉武高木の首長の伝統を受け継いだことになります。宝満山と飯盛山の祭祀を受け継ぎ、愛宕山・砥石山・宮地岳・井原山を神祀りの対象の山とした事でしょう。そして、真南にある九千部山を崇敬したはずです。毎日、太陽が南中する山ですから。一族の守り山・神と仰いだ山は、九千部だったはずです。九千部・香椎ラインと、宝満・飯盛山ラインが交差するのは、須玖岡本の最高部です。伊都国と奴国・早良国が出会う場所、古代の太陽祭祀がされたであろう場所は、此処意外にありません。すると、やはり、倭女王は須玖岡本地区と関係の深い人であり、父方の墓地に眠っているはずです。
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 日知り王は九州で生まれた
 三か所の弥生遺跡の首長たちは、それぞれの地域から太陽の動きを観測した「日知り」であったのです。彼らは尊敬され、畏れられ、大切にされたでしょう。「日知」であることの証に鏡を持とうとしたのでしょう。鏡をいち早く持ったのは、九州の王や首長です。日知りの思想も九州から生まれたのです。


明日は旅行に出ますから、数日お休みします。
101回から、九州の首長のつながりを改めて、紹介したいと思っています。
では、また


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by tizudesiru | 2013-07-26 00:09 | 100日知王の山々 | Comments(0)


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