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聖徳太子の存在は証明できたのか?ヒストリア

NHK歴史ヒストリアは、聖徳太子の実在を証明したのか?
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(最近、教科書ではこの画像を聖徳太子と教えていません)
聖徳太子は実在しなかったという説もあります。
また、隋書のアメノタリシホコは奈良の聖徳太子ではないという説もあります。
だって、日出処天子は男性でその姓は阿毎(アメ)、あざなは多利思北弧(タリシホコ・タリシヒコ)。彼には妻がいて、その号は阿輩鶏弥(アハキミ)です。

天子と名乗る以上、それなりの財力・統制力・組織力・元号・税制など持たねばならないものが多々ありますが、隋書の天子は持っているのです。また、天子が男性であるか女性であるかも重要でしょう。隋書に書かれた天子は男性です。

「倭王は天を以って兄と為し、日を以て弟と為す。天いまだ明けざる時、出でて政を聴き、跏趺(かふ)して坐す。日いづれば、すなわち理務をとどめ、わが弟にゆだねんと言う」とかかれています。


奈良の推古天皇は女帝で、夜のうちに仕事をし昼は弟に任せるなんてことは、一つもありません。全く違うシステムで政治をしているのです。


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更に、釈迦三尊の光背の銘文です。
光背の裏に銘文があり、字はタガネで彫ったのではなく、蝋書きし(蝋に字をほり土で固め)熱で蝋を溶かしたところに銅が流れ込むという技法で作られています。でも、その技法で時代を特定できるでしょうか。
以前から、光背の銘文は後にはめ込まれたもので太子の時代の事ではないという説が有力で、研究者の間でも問題になっていました。

わたしは十数年前に「銘文は本物だ」という説を読んだことがあります。研究者の名も本も忘れましたが、その中で印象に残っている箇所があります。
銘文の真偽を十分に展開したあと、
光背にはめ込まれた銅板に銘文は彫られている。文章を彫り込んだ板を出来上がった光背に後世はめ込んだということは、十分に考えられることである。しかし、光背には鍍金(金メッキ)が施してある。それが何時為されたのか、それがはっきりすれば問題は解決する。
光背と銘文銅板の間の永年の汚れを取り除けば、光背に鍍金が成された時、銅板が既にはめ込まれていたのか、銅板の鍍金が後の時代のものか、光背完成時期か、明らかになるだろう。
国宝に手を入れるのではなく、光背と銅板の間の一部の付着物を取り除けば鍍金の時期を確定できるのではないか。それを実行してほしい」

という内容でした。わたしは感激したので、よく覚えています。図書館で借りた本なので探せば分かると思います。
問題はこの後です。この銘文の主人公は最高位についた人なのです。皇太子ではありません。日本書紀の聖徳太子ではなく、極位についた天子であり法皇となった人なのです。

是が本物なら、新しい歴史上の問題となるのです。

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尺寸王身であれば、法隆寺の夢殿の秘仏「救世観音」とよく似た体形だとか…
そして、叡福寺古墳(聖徳太子の廟)の棺の話でした。棺は漆塗の挟紵棺ということでした。その破片が石室内から出土しているのです。わたしはこの石室も挟紵棺(きょうちょかん)も、後の時代のものと思っていました。
NHKもその辺りを取材していました。野口王墓や牽牛子塚古墳(斉明天皇陵と考えられている)の漆塗り木棺・挟紵棺が取り上げられていました。つまり、後の時代になって、聖徳太子が取り上げられ、棺が作り直されたという説の紹介でした。

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しかし問題はそのあと、明日香のそれらは麻布に漆を重ねた棺ですが、叡福寺古墳のものは麻ではなく絹だったのです。それも漆を塗った棺は100Kgあったというのです。
絹の消費量を考えると、何処で調達したのでしょうね。飛鳥・奈良時代ですら絹の産地は筑紫です。万葉集にも「筑紫のわた(絹)」の歌があります。叡福寺の棺だけ特別調達したのでしょうか? 何ゆえに?
そのうえ、光背銘文と日本書紀が大きく食い違うのは何故でしょう。隋書とは食い違ってはいませんよね。


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それに棺が乗せられた棺台(石材)ですが、そこに格狭間(こざま)という仏具につく文様があるのです。
わたしはこの紋様を持つから、叡福寺の石室は新しいと思って、ある大学で質問をしました。答は、
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この格狭間(こざま)は、中国では早い段階に使われているから、後代の文様とは入ってきた経路が違うと、答えていただきました。
そうなんですか。
太子町では、叡福寺古墳の棺を早い段階における技術の導入だと、主張していたと思います。現に漆棺の破片が出ていて、聖徳太子伝承があるからです。その伝承がどのような経緯で出来上がったのか、問題にならないまま信仰と結びついて、真実が見えなくなったと、思うのですが。

多くの検討がないまま様々な主張がなされているので、NHKはよく検討して番組を作ってほしいと思いましたね。

日本書紀の聖徳太子のところは、後からの挿入と考えられる漢文的にもちぐはぐであると読んだことがあります。書紀の推古朝には多くの問題があるのです。
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髄は使者を倭国に送りましたから、使者である文林朗裴世清は倭国王に会いました。まさか、女帝が宮室に隠れて代わりに皇太子が使者に会ったなど、想像できますか?
そんなことできるわけがないでしょう。ですから
日出処の天子は書紀の聖徳太子ではない、と思います。

ヒストリアでは、阿武山古墳の藤原鎌足の挟紵棺の画像や、明日香の岩屋山古墳(聖徳太子の墓に似ている)の紹介もありました。
わたしもこのブログで、紹介しています。
カテゴリ 240「藤原鎌足の墓」
藤原鎌足の墓は何処か 
カテゴリ 280「聖徳太子伝承の嘘とまこと」
 ~聖徳太子の陵墓は三骨一廟、明治まで石室内を見られた聖徳太子陵墓、聖徳太子の墓と似ている飛鳥岩屋山古墳

良かったら、ブログを見ていただければ嬉しいです。

では、また。


by tizudesiru | 2017-10-14 01:09 | 289聖徳太子の実在は証明されたのか? | Trackback(24)
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地図に引く祭祀線で分かる隠れた歴史


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大化改新後、武蔵大国魂神社は総社となる
262神籠石式山城の築造は中大兄皇子か?
263天智天皇は物部系の皇統か
264古今伝授柿本人麻呂と持統天皇の秘密
265消された饒速日の王権
266世界遺産になった三女神
267氏族の霊魂が飛鳥で出会う
268人麻呂の妻は火葬された
269彷徨える大国主命
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272吉武高木遺跡と平群を詠んだ倭建命
273大型甕棺の時代・吉武高木遺跡
274 古代の測量の可能性・飛鳥
275飛鳥・奥山廃寺の謎
276左大臣安倍倉梯麿の寺と墓
277江田船山古墳と稲荷山古墳
278西原村は旧石器縄文のタイムカプセル
279小水城の不思議な版築
280聖徳太子の伝承の嘘とまこと
281終末期古墳・キトラの被葬者
282呉音で書かれた万葉集と古事記
283檜隈寺跡は宣化天皇の宮址
285天香具山と所縁の三人の天皇
286遠賀川流域・桂川町の古墳
287筑後川流域の不思議神社旅・田主丸編
288あの前畑遺跡を筑紫野市は残さない
289聖徳太子の実在は証明されたのか?
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291黒塚古墳の三角縁神獣鏡の出自は?
292彷徨う三角縁神獣鏡・月ノ岡古墳
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297鉄製品も弥生から製造していた
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299柿本人麻呂、近江朝を偲ぶ
300持統天皇を呼び続ける呼子鳥
301額田王は香久山ではなく三輪山を詠む
302草壁皇子の出自を明かす御製歌
303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
305持統天皇と倭姫は同じ道を歩いた
306倭京は何処にあったのか
307倭琴に残された万葉歌
308蘇我氏の墓がルーツを語る
309白村江敗戦後、霊魂を供養した仏像
310法隆寺は怨霊の寺なのか
311聖徳太子ゆかりの法隆寺が語る古代寺
312法隆寺に残る日出処天子の実像
313飛鳥の明日香と人麻呂の挽歌
315飛ぶ鳥の明日香から近津飛鳥への改葬
316孝徳天皇の難波宮と聖武天皇の難波宮
317桓武天皇の平安京遷都の意味をよむ
318難波宮の運命の人・間人皇后
319間人皇后の愛・君が代も吾代も知るや
320宇治天皇と難波天皇を結ぶ万葉歌
321孝徳・斉明・天智に仕えた男の25年
322すめ神の嗣ぎて賜へる吾・77番歌
323卑弥呼の出身地を混乱させるNHK
324三国志魏書倭人伝に書かれていること
325冊封体制下の倭王・讃珍済興武の野望
327古代史の危機!?
和歌山に旅しよう
2018の夜明けに思う
日の出・日没の山を祀る
328筑紫国と呼ばれた北部九州
329祭祀線で読む倭王の交替
330真東から上る太陽を祭祀した聖地
331太陽祭祀から祖先霊祭祀への変化
332あまたの副葬品は、もの申す
333倭五王の行方を捜してみませんか
334辛亥年に滅びた倭五王家
335丹後半島に古代の謎を追う
346丹後半島に間人皇后の足跡を追う
345柿本人麻呂は何故死んだのか
346有間皇子と人麻呂は自傷歌を詠んだ
347白山神社そぞろ歩き・福岡県
348脊振山地の南・古代豪族と倭国の関係
349筑紫君一族は何処へ逃げたのか
350九州神社の旅
351九州古代寺院の旅
352日田を歩いたら見える歴史の風景
353歴史カフェ阿蘇「聖徳太子のなぞ」
354遠賀川河口の伊豆神社
355邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡
356甕棺墓がほとん出ない宗像の弥生遺跡
357群馬の古墳群から立ち上る古代史の謎
358津屋崎古墳群・天降天神社の築造年代
359倭王たちの痕跡・津屋崎古墳群
360大宰府の歴史を万葉歌人は知っていた
361 六世紀の筑後に王権があったのか
362武内宿禰とは何者か
363神籠石が歴史論争から外され、更に・
364 令和元年、万葉集を読む
365令和元年・卑弥呼が九州から消える
366金象嵌の庚寅銘大刀は国産ではない?
367謎だらけの津屋埼古墳群と宗像氏
368 北部九州で弥生文化は花開いた
369・令和元年、後期万葉集も読む
370筑紫国造磐井の乱後の筑紫
371三国志の時代に卑弥呼は生きていた
372古代史の謎は祭祀線で解ける
373歴史は誰のものか・縄文から弥生へ
374令和元年こそ万葉集を読み解こう
375大伴家持、万葉集最終歌への道
376神社一人旅はいかがですか
377花の写真はいかがですか
378杵島曲が切り結ぶ有明海文化圏と関東
379万葉集巻二十は鎮魂と告発の歌巻
380関東の神社は、政変を示しているのか
381九州の古墳の不思議と謎
382松浦佐用姫は何故死んだのか
383令和三年の奇跡を祈りましょう
384歴史は誰のものか・弥生から古墳へ 
法隆寺
大塚初重氏の仕事
385万葉集を片手に旅ゆけば
386今城塚古墳の謎・物語が見えない
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