264古今伝授に柿本人麻呂と持統天皇の秘密が

古今伝授に書かれた秘密
柿本人麻呂は持統天皇の恋人(?ホント?

という内容の本を10年位前に読んだことがあります。書名をどうしても思い出せないのですが、「古今伝授」を受けた公家の書き残したものを紹介した本でした。そこには、古今集の序文の読み解きが書かれていました。


古今和歌集・仮名序「二歌聖評」

いにしへより かくつたはるうちにも、ならの御時よりぞ ひろまりにける。かのおほむ世や、うたの心をしろしめしたりけむ。かのおほむ時に、おほきみのくらゐ かきのもとの人まろなむ、うたのひじりなりける。これはきみもひとも身をあはせたりといふなるべし。秋のゆふべ、竜田河にながるる もみぢをば、みかどのおほむために にしきと見たまひ、春のあした、よしのの山のさくらは、人まろが心には くもかとのみなむおぼえける。


昔からこのように伝わって来た中でも、奈良の帝の時代より特にひろまって来たのです。その御代には、歌の心を理解なさっていたのでしょう。その御代には、正三位柿本人麻呂が歌の聖でありました。これは帝も臣下もよく心を合わせ、同体であったと云えるのでしょう。秋の夕暮れ、竜田川に流れる黄葉を帝の目には錦と御覧になり、春の朝、吉野山の桜は人麻呂の心には雲ではないかと思われたのです。


古今伝授とは歌の世界の秘密や言い伝えを伝授することですが、「これはきみもひとも身をあはせたりといふなるべし」の箇所が人麻呂と持統帝の関係を暗示(暴露)した文だというのです。そして、子までなしたと…

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(軽の路は、奈良県橿原市の大軽・見瀬・五条野辺りで下ツ道はそのなごり?)

さて、その人麻呂と持統天皇の秘密は万葉集で読めるのでしょうか。
子どもまでいたというのですが…吉野に頻繁に出かけていた頃の持統天皇はすでに初老の婦人です。健気に有間皇子を追慕し続けた女帝から想像することはできないのですが。万葉集巻二に「妻の死を詠んだ」挽歌があります。

柿本人麻呂の妻死し後に泣血哀働して作る歌二首幷短歌

207 天飛ぶや 軽の路は 吾もこが 里にしあれば ねもころに見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み まねく行かば 人知りぬべし さね葛 のちもあわむと 大船の 思いたのみて 玉かぎる 磐垣ふちの 隠のみ 恋つつあるに 渡る日の くれぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 奥津藻の なびきし妹は 黄葉の過ぎていにきと 玉梓の 使いの言えば 梓弓 おとに聞きて いはむすべせむすべしらに おとのみを 聞きてありえねば 吾戀ふる 千重の一重も なぐさもる こころ(情)もありやと 吾もこが 止まず出で見し 軽の市に 吾立ち聞けば 玉だすき 畝火の山に 鳴く鳥の声も聞こえず 玉鉾の 道行く人も 独りだに 似てしゆかねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる 


208
 秋山の 黄葉をしげみ まといぬる 妹を求めむ 山道知らずも

209 黄葉の ちりゆくなえに 玉梓の 使いを見れば 相し日おもほゆ


ここで読める「人麻呂の妻の姿は」
妻の里は軽の路の近くで、妻の許に何度も通って逢いたいのだが、止まずに通えば人目に付き、多く通えば人に知られてしまう。今は控えて後に逢おうと思ってひっそりと隠れるように恋しく思っていた…
人麻呂の妻は、人目があって簡単に会えない女性だった、高貴な人?
日が沈むように月が雲に隠れるように、あの人はもみじばのように亡くなったと使いが来ていうので、知らせだけ聞いてもどうしょうもなく、知らせだけきいても何の慰めにもならず…
人麻呂は妻の死に目にもあえず、知らせを受けただけというのです
そして、軽のちまたに在りし日のあの人の姿をもとめても、似た人もいなくて、畝傍山でいつも泣いていた鳥の声も聞こえず、あの子の名を呼んで袖を振った…
妻の面影を求めてただただ軽の巷を彷徨った人麻呂。どうして直に会えないのでしょうね。妻は簡単には会えない人だったのです。

次も、妻の死を傷んだ挽歌です。長歌と短歌ですが、これは、次回にまわします

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古今伝授は、わたしには懐かしい詞です。熊本市の水前寺公園に茶室がありました。そこは細川幽斎の「古今伝授の間」であると、社会科の先生が紹介してくれました。幽斎は肥後藩主細川忠興の父で、忠興の妻はガラシャ・明智光秀の娘です。


細川幽斎は武芸・和歌・茶道・連歌・蹴鞠などのわざを修め、囲碁・料理・猿楽などにも造詣が深く、当代随一の教養人だったそうです。ですから、公家と交流も深く、三条西実枝に古今伝授を承けました。古今伝授とは古代から伝えられている和歌に関わる秘密を伝授するのですが、内容を書き残してはならず、むやみに漏らしてもなりません。それも、一対一で伝授するという掟がありました。


徳川家光が後水尾天皇に古今伝授のなかみを教えてほしいと頼んで断られて話は有名ですね。


また、幽斎が古今伝授のおかげで命拾いをした話も有名です。

1600年、息子の忠興が会津征伐に出た後に、幽斎は三男幸隆と500ほどの手勢で田辺城を守っていました。石田三成が徳川を討たんと兵をあげ、田辺城は1万5000の兵に囲まれました。幽斎は籠城します。包囲軍には幽斎の歌道の弟子も多く居て、彼らも攻めきれませんので長期戦となっていました。幽斎の弟子でもあった八条宮智仁親王は、2度にわたり講話を働きかけますが、幽斎は受け付けません。ついに智仁親王は兄・後陽成天皇に奏請し、勅使が田辺城に下され、関ヶ原の戦いの二日前に勅命による講和が結ばれました。理由はもちろん、幽斎が死亡すれば「大事な古今伝授が失われる」からです。古今伝授が天皇を動かしたと云うことです。

幽斎は三条西実枝からうけた古今伝授を実枝の子三条西公国と孫・三条西実条に返しました。また、八条宮智仁親王が幽斎から古今伝授を受けた「古今伝授の間」が、大正時代に熊本市の水前寺成趣圓(公園)に移築されたのです。


熊本地震で水前寺公園の湧き水が一時的に止まりましたが、今は回復しているそうです。
遅くなりましたが、明日のお知らせです。北部九州では記録的な大雨で大変な被害が出ていますので、お知らせするのに躊躇しました。が、明日のことですので少し報告します。明日7月8日(土)、久留米大学での公開講座です。

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時間は8日13時からで、今回は事前申し込みが必要でした。
開催されるのかというおたずねがありましたのでお知らせしました。
講座は一時間半ほどですから、万葉集の謎の一部のお話になると思います。
では、明日。


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by tizudesiru | 2017-07-07 00:19 | 264古今伝授に本人麻呂と持統天皇の秘密 | Trackback | Comments(0)
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297鉄製品も弥生から製造していた
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303額田王は大海人皇子をたしなめた
304天智帝の皇后・倭姫皇后とは何者か
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