16 守られた土地は太宰府?

16 守られた土地は太宰府?
 神籠石山城を作り、守らねばならない場所が北部九州にあった。そして、当時の人々もその事を理解していた。そこは、何処だろう。太宰府なのか。それとも、筑後川を含む筑紫平野の中のどこか。
 太宰府の山と山城を地図上で結ぶと、面白い事が見えて来る。
(ア) 大宰府の四角形
 南の宮地岳と北の宝満山は直線距離で五キロほど離れているが、宝満山と西の大城山も、直線で五キロほどの距離である。此処にほぼ正方形の聖域が出来そうだ。正方形とはすばらしい。宝満・宮地・大城の三点は、見つかったが、もう一点は……何処だろう。
 宮地岳と大城山は対角線の頂点になる。どちらも、山城として向き合っているのである。
 宝満山の対角線に来るのは、都府楼の南に直線を伸ばした位置。大城山から五キロの地点になる。
 宮地岳から西へのラインと、大城山から南へのラインの交点だが、大城山から都府楼を通り、朱雀大路を抜け、二日市駅の西側、塔ノ原辺りになる。塔ノ原は、寺院の塔の礎石が見つかったので「塔ノ原」という地名になったそうだ。その礎石は、何処から運ばれたかはっきりしないそうである。
 問題の交点は、平地の上になる。そこに、塔が建っていたとしたら、どうなるのだろう。仏教の寺院とすれば、天智天皇統治前の寺院となろう。しかし、何らかの理由で、塔は取り除かれた。礎石は重いので、遠くに運べず放置された。憶測で申し訳ないが、それは、都府楼の南前二・五キロに立っていた塔になる。大に点のない「大宰府」が置かれた時、邪魔になったから、壊されたのだろうか。ともかく塔が建っていたと仮定すると、正方形の聖域が出来る。それは、塔以外のものでも構わないが、何か強力な意味のある建造物があったと仮定すると、方形の空間が見えて来る。
 そうなると、後世の都府楼跡は、正方形の外枠に位置する事になってしまう。政庁跡として、長く調査を受けている場所なのだが、天地三年以前には中心地に位置しなくなる。どう考えればいいか。政治権力の強制力なしではできない事が、大野城を築いた時に起こったのだ。政庁の建物を建てる時に、一番端のラインが中心線に変わったのである。
 観世音寺もほぼ昔の位置にあるらしい。発掘の結果、太宰府の条坊に沿って立っているらしいのである。そうすると都府楼の前の東西に貫くメイン道路は、昔も道だった事になる。この道は、正方形をほぼ南側と北側に二等分する。では、東と西に等分するラインはあるだろうか。それは、ある。
 地図を見て気が付いたが筑紫神社と太祖神社を結ぶ南北ラインは、正方形を東側と西側に二等分する。
太祖神社(東経130度32分33秒)
筑紫神社(東経130度32分34秒)
ほとんどずれない。この太祖・筑紫ラインが、大城山・宝満山の東西ライン五キロを二等分する。
式内社だが、筑紫神社は古代の伝承を伝えている。この筑紫神社と、若杉山の太祖神社は、南北の関係にある。東の宝満の竈神社と西の飯盛山が向かいあっていた事は、既に書いた。北と南で向い合っていたのは、筑紫神社と太祖神社である。若杉山で神功皇后が飯盛山に向かって社を建てた伝承には、やはり無理がある。宝満と飯盛が向かいあい、筑紫神社と太祖神社が向かい合う。国守りの神社なら当然かも知れない。東西南北の関係なのだ。
 対角線が交差する点、二等分線が交差する点は、どこだろう。
その中心点は、太宰府天満宮の南東五〇〇メートルほどの地点、石坂の東の岡、ゴルフ場の辺りである。そこには、近くに、小さい高雄山がある。都府楼前のメイン道路の直線がいきつく場でもある。
この地点なら、宝満山は大宰府の北東に当たり、鬼門となる。「竈山旧記」によると『大宰府が置かれた時に大宰府の鬼門を護るために建設された』と記されている。陰陽道に基づいて建設されたようだ。しかし、石坂の東の地でなければ、竈神社は鬼門を守っているという言葉の通りにならない。この正方形が示すように、古太宰府の中心は、石坂の東の岡の上辺りにあったのだ。高雄山の斜面には、石穴観音がある。王の墓だろうか。
 太宰府天満宮の辺りを、宰府という。昔の言い伝えの地名として使っているではなく、小字だった。西の都府楼の辺りに朱雀や都府楼の地名に混じって、坂本や国分や水城の地名がある。一方、都府楼から距離的に離れた東の天満宮の辺りに、宰府だけでなく太宰府や連歌屋、三条や五条、白川や高雄などの地名がある。どうも釣り合わない。太宰府の地名から推測しても昔の中心地は、やはり石坂の上辺りだったと十分考えられる。そうだとしても、何時、何故、変わったのか。やはり、天智天皇の時代か。巷の説の通り白村江の戦いに敗れ、戦地へ出ていた王達は戻れなかったのか。
新聞記事を読んで、不思議に思った事があった。都府楼跡の発掘で、大宰府に空白時間があったのだ。太宰府政庁跡には三つの時代の遺構があった。地上の礎石の六〇センチ下に同じような配置の礎石が確認された。更に、その下に掘立柱の柱穴があった。記録と照らし合わせて、礎石の並びから発掘した遺構の年代を決めていくと、不思議なことに、白村江の後の建物が掘立柱になることが分かった。山城として突貫工事をした大野城でさえ、倉庫は礎石の上に建っている。釣り合わないという事だった。発掘の結果、謎は深まったのだ。読んで何故だろうと疑問を持ったが、もし中心地が石坂の東だったなら、西の都府楼跡の辺りは、王都入口の付近になる。そして、南西の裏鬼門には、塔が建っていた。
太宰府ではなく、大に点のない大宰府が大和朝廷の役所として機能し始めた時代に、現在の都府楼跡に石の礎石の建造物が現れても不思議ではない。掘っ立て柱は、その前の時代の遺構だ。そこにもともと何があったのだろう。真っ直ぐ石坂に伸びる道路にはどんな建物がならんでいたのか。
宮殿に向かって伸びた東西メイン道路が、都府楼前の朱雀大路(南北メイン道路)に変わった時、中心地も変わった。昔の王宮は捨てられた事になる。
地図は、思いがけず古代の王都を教えてくれた。そう、これほど守られていた土地は王都でしかありえない。が、しかし、誰の都だろうか。七世紀に王都を造り変えたのが天地天皇として、その前に玉座についていたのは……
王を特定しないまま、6世紀に太宰府は王都だったとしておこう。七世紀後半、支配者が変わり天智天皇による新しい政治が始まると、大きな役所の建て替えに伴い、それまでの国守りの東西重視の信仰は否定され、主祭神も変わり神祀りの方法も変わった。新しい支配者は、仲哀・神功の流れを強く受け継ぐ人々である。都府楼を中心とした筑紫支配の為に、南北重視の神祀りライン香椎・鉾立山・御勢大霊石神社・九千部の四点を頂点とした長い四角形を作り上げ、筑紫の王都(古代大宰府)をはるかに超えるようにした。長四角形はおよそ正方形王都の十倍の広さになり、古代王都も含まれる。歴代王の祖霊の昇る脊振山は、「天竺の鬼門」として避け、東西信仰の英彦山・雷山ラインも忘れようとした。そこに、後に山岳宗教が入りこむ余地があったのだ。
更に時を経て、醍醐天皇の「延喜式」により政治が行われる時代になり、再び古代の国守り信仰の残骸が再度見直され、結果として式内社が選定された。九州北部では神功皇后伝説を利用して、それまでの歴史を背負う神社の事実上の格下げが行われた。此処で、東西南北の国守り信仰が、ずたずたに分断されたのである。
では、それほどに信仰の形や神社の格式等を変えなければならない政治的理由は何だろう。政権交代だけでなく、天智天皇には特別の理由があったのかも知れない。
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by tizudesiru | 2011-09-15 22:43 | 16六世紀の都 | Comments(0)
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